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ジャニスと呼ばれた男

2023年10月22日

言わずもがな、1960年代を代表する伝説的な女性ロック・シンガー、ジャニス・ジョップリンを題材にした映画である。僕はというと、まぁ1960年代にはまだ生まれてすらいなかったし、思春期のあるころに、ジャニス・ジョップリンばかりを聴いて過ごしていた、という体験も持ち合わせておらず、正直に言ってしまえば、めちゃくちゃに思い入れがあるというわけではない。しかし、どちらかといえばアルバムも何枚か聴いたことがあるし、思春期のあるころにそればかり聴いていたとは言わないまでも、大学の長い通学時間にそればかり聴いていた、ということもあったりして、気になる映画の一つであったのである。

ジャニス・ジョップリン自体に僕が初めて出会ったのは、確か高校生くらいの頃、地元である埼玉県の町にある市立図書館のCDコーナーであった。図書館のCDコーナーには流行りのヒットチャートにはまずのってこない昔の名盤みたいなものがたくさんおいてあって、ジャニスの名盤"Pearl"もそこにあったのである。しかし、ジャニスという言葉自体に出会ったのはさらに昔、小学生4年か5年の頃までに遡るのだった。小学校4年生とか5年生くらいの思春期に入りかけの時期というものは、ちょっと下系の言葉というかそっち系の言葉が伝聞によって、草の根的に広がってゆくものである。ジャニス、という言葉が生まれたのはそういう状況下においてのことだった。今となっては恥ずかしい話なので、詳しい説明とか言葉の由来とかは説明を避けるが、要するに男性器が大きいやつのことをジャニスと呼んで囃し立てていたのである。ジャニス・ジョップリンのことはつゆ知らずに。まぁそのことは正直に言ってどうでもよくて、ただどうしてもジャニスという言葉を聞くと、当時のことを思い出して恥ずかしい気持ちになるということが書きたかっただけである。

さて、ジャニス・ジョップリンの方に話を戻すと、今回の「ジャニス リトル・ガール・ブルー」を観て、彼女の印象というものが大きく変わったのである。ジャニスといえば、"piece of my heart"にみられるように女性とは思えないようなシャウトボイスが印象的で、かなり攻撃的というか強くてたくましい姿をずっと想像に抱いていたのである。

しかし、今作はタイトルに「リトル・ガール・ブルー」とあるように伝説的なシンガーの悲しみとか心の傷に焦点を当てたドキュメンタリーになっていた。

映画を観る限りでは彼女の人生とは絶え間のない心の傷との闘いであったように思える。

グラビアアイドルのようになりたいと願っていたのに、自分の容姿がそれとかけ離れていることを思い知る、幼少時代。中学・高校・大学と環境が変わってゆくにもかかわらず、周囲から彼女へのいじめはなくならなかった。バンド仲間との出会いと関係の崩壊、最終的に自身を死へと追いやるドラッグへの傾倒。ジャニスは波乱の中トップスターに昇りつめるが、そこにはルサンチマンを克服した際のカタルシスというものは存在せず、そこに描かれるのはトップスターになったにも関わらず孤独を抱え続けるジャニスの姿だ。

だから、劇中のライブシーンでジャニスのシャウトが映されるたびに、攻撃的な印象はまったく感じなくて、悲鳴に似たような、痛みを伴った叫びに聞こえる。最後まで孤独を感じ続けて、慰みを求めるようにもうやめたはずのドラッグに手を出して死んでしまう。27歳の時のことだった。自分も、ジャニスと囃し立てられた男も同じ27歳だ。ジャニスと囃し立ててられていたが、勉強もできて、スポーツもできたあいつは中心的な存在で、女にもモテていて、自分は尊敬と畏怖の気持ちを抱いていた。あいつもジャニスのように孤独を感じた時があったのだろうか?やはり最後はあいつのことを思い出してしまう。

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